― 長縄飛びという“夢の道具”を買ってみたら、腕がもげた話 ―
休日が来るたびに、私は思う。 「アラフィフにとって、5歳男子の相手はもはやスポーツだ」と。いや!スポーツを超えた格闘技?!
前回の“鬼ごっこ20分”で、私は自分の体力の限界を知った。 息子の笑顔は最高だったけれど、帰宅後の私は床に沈み込み、しばらく動けなかった。 あれはもう、競技だった。 “母親”というより“参加選手”だった。
そんな私が、次の週末に向けて密かに用意した秘策がある。 それが――長縄飛びだ。
■ なぜ長縄飛びなのか
理由はシンプル。 価格につられてポチっとしてしまったから。
Amazonのタイムセールで、妙に安かった。 「え、長縄ってこんな値段で買えるの?」 「これで週末が少しでも楽になるなら…」 そんな軽い気持ちで、気づいたらカートに入っていた。
でも、ただの衝動買いではない。 最近の息子の“どや顔話”のひとつが縄跳びなのだ。
保育園で跳べるようになったらしく、毎日誇らしげに報告してくる。 「今日ね、10回跳べたんだよ!」 「先生がすごいって言ったんだよ!」 そのキラキラした目を見るたびに、 「この“好き”を伸ばしてあげたいな」と思っていた。
さらに、長縄飛びにはもうひとつ魅力がある。 友達と一緒に遊べる“連帯感”が生まれること。
ひとりで跳ぶ縄跳びとは違い、長縄は“みんなで作る遊び”。 息子が集団遊びに入るのが少し苦手なこともあり、 「これなら自然と輪に入れるかも」という淡い期待もあった。
つまり、 息子の成長 × 友達との一体感 × 価格の安さ この三つが揃った結果、私は長縄をポチったのだ。
長縄飛び↓↓↓↓↓
■ いざ、公園へ。長縄デビュー戦
休日の午後。 長縄をバッグに忍ばせ、息子と公園へ向かった。
「今日はね、ママがすごいの持ってきたよ」 「え、なに?」 「じゃーん!長縄〜!」 「え!やるー!!」
息子のテンションは一気に最高潮。 この瞬間だけで、買ってよかったと思った。
さっそく縄を広げ、私が片側を持ち、もう片側を木に結ぶ。 (本当は両端を人が持つのが正しいけれど、アラフィフ母ひとりでは無理だ)
縄を回し始めると、息子は嬉しそうに跳び込んできた。
「いくよー!せーの!」 「とべたー!!」 「すごいじゃん!」
その笑顔は、まさに“想像通り”。 いや、想像以上だった。
■ そして、腕がもげる
しかし、ここからが地獄の始まりだった。
長縄を回すという行為。 これが、想像以上にキツい。
腕が… 肩が… 背中が… 全部が悲鳴をあげている。
「ママ、もっと速くして!」 「ママ、次は大波にして!」 「ママ、止めないで!」
息子は無邪気に要求してくる。 そのたびに私は、 「うん…いいよ…(腕が…死ぬ…)」 と、かすれた声で返す。
長縄って、こんなに体力使うの? 子どもの頃は平気で回していた気がするのに。 アラフィフの腕には、もはや拷問レベルだ。
10分経過。 腕がもげそう。 15分経過。 肩が外れそう。 20分経過。 もはや無の境地。
でも、息子はずっと笑っている。 その笑顔が、私をなんとか支えていた。
■ そして奇跡が起きた
縄を回していると、近くで遊んでいた子どもたちが集まってきた。
「入れてー!」 「ぼくも跳びたい!」 「わたしもー!」
気づけば、見知らぬ子どもたちが列を作っている。
息子は照れながらも、誇らしげに言った。 「これ、ぼくの縄なんだよ」 「ママが回してるんだよ」
その顔は、まさに“どや顔”。 そして、私の腕は限界突破。
でも、嬉しかった。 息子が自然に輪の中に入っていく姿を見られたから。
長縄という一本の縄が、 息子と他の子どもたちをつなぎ、 笑い声が公園に広がっていく。
これこそ、私が求めていた“一体感”だった。

■ 長縄がくれたもの
腕はもげそうだった。 肩は悲鳴をあげた。 翌日は筋肉痛で、洗濯物を干すのも辛かった。
でも―― 長縄飛びは、価格以上の価値をくれた。
・息子の「好き」を伸ばせた ・集団遊びのきっかけになった ・息子の自信につながった ・私も一緒に達成感を味わえた
そして何より、 息子が帰り道に言った一言。
「ママ、今日の長縄、すっごく楽しかったね」
その言葉で、すべて報われた。
長縄飛び↓↓↓↓
■ アラフィフ母の結論
長縄飛びは、 体力は削られるけれど、心は満たされる遊びだった。
腕はもげる。 肩は壊れる。 でも、息子の笑顔はプライスレス。
次の週末も、きっと私は長縄を持って公園に行く。 腕がもげる覚悟をしながら。
アラフィフ母の週末サバイバルは、まだまだ続く。
