木. 2月 26th, 2026

第1章:嵐の前の静けさと、突然の変貌

つい最近まで、この子の口から出る言葉は、私を癒やす魔法のようだった。「ママ、だいすき」「おはな、きれいだね」。たどたどしい発音で、一生懸命に世界を伝えようとしていたあの頃。私はその一言一言を宝物のように拾い上げ、育児の疲れを吹き飛ばしていた。
けれど、5歳という階段を登り始めた途端、その魔法は形を変えた。あんなに柔らかかった言葉が、今は鋭い矢となって私に突き刺さる。

「だって、お母さんが先に言ったんでしょ?」
「今やろうと思ってたのに、お母さんが言うからやる気がなくなった」


朝起きてから眠るまで、家の中はまるで法廷のようだ。私が何かを言えば、即座に「異議あり」とばかりに論理的な反論が返ってくる。成長は嬉しい。言葉が豊かになるのは素晴らしいこと。育児書の1ページ目には、決まってそう書いてある。「自己主張ができるのは、母子関係が安定している証拠です」と。
わかっている。
頭では、痛いほどわかっているのだ。
けれど、現実はどうだろう。
目の前でふんぞり返り、大人びた口調で私を論破しようとする5歳児を前にして、私の心は大時化(おおしけ)の海のように荒れ狂ってしまう。

第2章:私の「今の悩みの種」――言葉という武器

今の私の悩みの種は、子供の「言い方」と、それに過剰に反応してしまう「自分自身」だ。5歳児の観察眼は驚くほど鋭い。こちらの矛盾や、ちょっとした隙を逃さず突いてくる。それが正論であればあるほど、余裕のない私の心は余裕を失い、ついには「親に向かってその言い方は何!」という、最も建設的でない言葉を投げ返してしまう。
特に辛いのは、外では「いい子」で通っていることだ。幼稚園の先生からは「しっかりしていますね」と褒められる。その言葉を聞くたびに、誇らしい気持ちと同時に、真っ黒な感情が胸をかすめる。(家ではあんなに生意気なのに。私に対してだけ、あんなに攻撃的なのに)
家庭という、最も安全な場所だからこそ、子供は全開で反抗している。それは信頼の証だ。そう自分に言い聞かせても、毎日24時間、言葉のドッジボールを続けさせられる親の身にもなってほしい。

第3章:正論という名のナイフ、突きつけられた「未熟さ」

それは、厳しい寒さが続く午後のことだった。連日の応酬に疲れ果て、つい声を荒らげてしまった私に、5歳の息子は静かにこう言った。
「お母さん、怒鳴らなくても聞こえてるよ。大きな声出さないでっていつも自分が言ってるじゃん」
心臓が跳ねた。まるで冷水を浴びせられたような衝撃だった。そうなのだ。私は言葉を尽くして説明することを放棄し、「声の大きさ」という暴力的な力で、この小さな存在をねじ伏せようとしていた。子供が言った「自分が言ってるじゃん」という言葉。それは、私が丁寧な対話をサボっていることへの、これ以上ないほど的確な指摘だった。
5歳児に、自分の本質を見透かされている。その事実が鏡を突きつけられたようで、情けなくて、私はその場に立ち尽くすしかなかった。

第4章:向き合う意欲と、崩れ落ちる砂の城

それでも、私は「母親」を辞めるわけにはいかない。夜、幼い寝顔を見ながら自分に言い聞かせた。(この子はまだ5歳。大人の私が、もっと大きな器にならなきゃ)。
翌朝、私は心に誓った。「今日はどんな正論を言われても、一度は飲み込もう」と。朝食のパンが焦げたときも、「お母さん、失敗しちゃったね」と先回りして自虐し、子供の攻撃をかわした。手応えはあった。(いける。私だって、ちゃんと向き合えばできるんだ)。砂の城を丁寧に積み上げるように、私は「理想の母親」を演じ続けた。
けれど、その城はあまりにも脆かった。夕方、夕飯の準備で火を使っている最中。「今すぐ見て!」と袖を引っ張る子供に「後でね」と優しく言ったはずなのに。
「『後で』って、いつも忘れるじゃん。お母さんの『後で』は、明日まで来ないんだよね」
プツン、と脳内で何かが切れた。
「じゃあ、どうすればいいのよ!お母さんは体が一つしかないの!」
結局、私はまた、5歳児と同じ土俵で叫んでいた。意欲を持てば持つほど、挫折した時の反動が大きくて、胸が締め付けられる。

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第5章:白旗を上げる勇気。完璧な母親を、今日、卒業する。

何度も挫折して、ようやくたどり着いた一つの答えがある。それは、「この子と対等に向き合おうとするのを、一度やめてみる」ということだ。
「向き合う」という言葉は、美しくて残酷だ。正面から向き合うほど、言葉のナイフはまっすぐに胸に刺さる。だから私は今日、白旗を上げることにした。「完璧な母親」という、高すぎる理想の椅子から降りることにしたのだ。
「お母さん、お話し下手だね」と言われたら、もう無理に教育的な指導をしようとしなくていい。「そうだね、お母さんもまだお母さんになって5年目だもん。言葉に詰まっちゃうこともあるよ」と、一人の人間として白旗を振ってみる。
親だって、図星をつかれれば傷つくし、泣きたくなる夜もある。それでいいのだ。
5歳の中間反抗期。それは、子供が「自分」という個を確立しようともがいている証拠。そして親が、「親という役割」を脱ぎ捨てて、子供と一人の人間同士として出会い直すための、手痛い洗礼なのだ。
完璧じゃなくていい。向き合えなくて、背中を向けてしまう日があってもいい。
ただ、明日も一緒に朝ごはんを食べて、「おはよう」と言える。今の私には、それだけで十分合格なのだ。

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投稿者 Osozaki-mama

20代での結婚が正解と思っていた私。仕事に生き、城を築き、40歳目前で運命が動く。今は育児とキャリアの戦場で、全部手に入れると決めていきる!育児、家事、仕事に子供のお受験や大好きな旅行など、ちょっと良かった決断や失敗談まで掲載させて頂きます!

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