今もなお、不思議な記憶として、ふとした瞬間に蘇る一日がある。
理由は分からない。ただ、やけに鮮明なのだ。
空気の冷たさも、靴音も、胸の奥でざわついていた感情も。
そう、あの日は面接の日だった。
私たちは、その日行われる面接の第三グループ、つまり最終グループだった。
最終、という言葉には、妙な緊張感がある。
早めに自宅を出た判断は、結果的に正解だった。
学校近くの駐車場を四件回ったが、すべて満車。
嫌な予感は的中し、駅近くに車を停め、タクシーで向かうことになった。
その時点で、私はすでに一つ、取り返しのつかないミスをしていた。
息子のコートを忘れたのだ。
気づいた瞬間、心臓が一段落ちる。
ニットにシャツだけの息子は、どう見ても寒そうで、母としての自分に即ダメ出し。
「なんでこんな日に限って」
「ちゃんと確認したはずなのに」
反省は、いつも時間差でやってくる。
それでも、指定時刻の十分前には到着した。
ここまでは、予定通り。
そう思ったのも束の間だった。
校門をくぐり、受付へ向かう途中で、違和感が一気に押し寄せてきた。
――あれ?
ニット帽のパパ。
スウェットのママ。
スニーカーにリュック。
一人、また一人と視界に入るたび、頭が追いつかなくなる。
見回せば見回すほど、上下スーツの私たち夫婦だけが、浮いている。
「え?カジュアル指定だった?」
「そんな案内、あった?」
「見落とした?いや、見てない?」
情報処理が追いつかず、頭の中で警報が鳴りっぱなしになる。
ヒールの音が、やけに大きく、やけに響く。
一歩進むごとに、「間違っているかもしれない」という声が、自分自身の内側から聞こえてくる。
それでも、とにかく受付だけは済ませた。
今さら服は変えられない。
ここまで来たら、進むしかない。
その後、夫が第二グループのパパ友に連絡して、さりげなく聞いてくれた。
「服装って、これで合ってるよね?」
返ってきた答えは、
「うん、上下スーツで問題ないよ」
その瞬間、身体の力が一気に抜けた。
安心という感情は、こんなにも即効性があるのかと思うほどだった。
――よし。
――戦闘態勢に入ろう。
そこからは、意識を切り替えた。
親の不安は、子どもに伝染する。
だから私は、息子だけを見ることにした。
緊張で表情が硬くなっている息子。
小さな手が、少し強く私の指を握る。
私に触りたがる。
「大丈夫だよ」
何度も、言葉と目線で伝える。
そしてここで遊ぶ息子を想像させて、未来の楽しい自分を想像して笑みが出る息子。
少しずつ、息子の顔が緩んでいく。
それを見て、私も呼吸が整っていく。
夫婦は、教師との十五分間の面談。
当たり障りのない質問、けれど一つひとつが重い。
言葉を選びながらも、「この子をちゃんと見てほしい」という思いだけは、嘘なく伝えた。
そして私たちの子育てに向き合う日々を伝えた。
言葉にすると子育ては素晴らしい。
連なる言葉が、幸せに満ちている。
その間、息子は三十分、子どもたちだけでの試験。
身体を使い、集団の中で過ごす時間。
息子を待つ時間は、長い。
時計を見るたびに、「まだか」と思う。
そして同時に、「どうか楽しんでいますように」と願う。
私たちは、大丈夫だ。
夫婦でここまで来た。
二人で決めて、二人で挑んでいる。
それでも、心配なのは息子だった。
やっと終わり。
廊下の前に出て息子を探す。
その瞬間、目に飛び込んできたのは――
誇り高い顔。
少し胸を張って、
もうすでに隣に仲間を連れている。
「やったよ」と言わんばかりの表情。
その顔を見た瞬間、すべてがほどけた。
あぁ、この子は、大丈夫だ。

息子は、この日を楽しんだのだ。
急に決まった面接という非日常を、
「試される時間」ではなく、「体験」として受け取っていた。
家族で、乗り切った。
誰か一人が頑張ったわけじゃない。
走りきった、ただそれだけだ。
そして、私たちは家路についた。
帰り道、ふと気になって調べた。
――なぜ、あんなにカジュアルな服装の親が多かったのか。
検索しても、答えは見つからなかった。
体験談も、明確なルールも、出てこない。
謎は、謎のまま。
けれど今は、それでいい気がしている。
答えが出ない不安より、
息子が見せてくれたあの顔のほうが、ずっと確かだから。
このモヤモヤは、
少し寝かせることにしよう。
きっといつか、
「あの時は、あれで良かったんだ」と思える日が来る。
そう信じている。
そしてこの日の結果をひとまず待ってみるとする。
言葉にすると、心が劇場のように騒いだ日。
過ぎて、ホッとしてい。
読んで頂きありがとうございました!
謎めいた日ってありますよね。
そんな日を共感できたら嬉しいです!!
